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ぼるふ〜草原記

放牧で迷子

よく、何をやっても上手くいかない人って、いませんか?

私はまさに、「それ」です。

キャンプ場の仕事が終わり、数日間サンボーと草原にいたのですが、サンボーが馬を探しに行くというので、私が羊の放牧へ。今日の大きな課題は、水を飲ませに羊を川へ連れて行くこと。昨日、ヨンドンピルさんとトータカのお家は水を飲ませに行ったから、今日は行かないでしょう。行くとしたら、ガイラーさんのお家だ。

水を飲ませに行く時の注意は、川の手前のマイハンボローの丘を過ぎる前に羊達より先に行って、他の人の羊の群れがいないか、確認してから丘を越えさせること!同じように水場で、出会ってしまわないこと。ガイラーさんは、いつもマイハンボローの南側を抜けていくので、北側から抜ける私とは、そこではぶつからないはず。でも、油断は禁物。

久々に馬に乗ったのだが、乗る時にクルクル回る馬で、じっとしてくれない。あぶみに足を入れたら一気にいかないと、乗れない。あまり乗り降りしたくない馬だなあ。

さて、行きはヨイヨイ。羊たちは、どんどん進んでくれる。なぜなら喉が渇いているから。南のほうに羊の群れが。やっぱりガイラーさんだ。これで、こっちに気がついて、向こうも気をつけてくれるだろう。

無事、川に着いたら、ガイラーさんだった。「サンボーは?」と聞かれたので「馬を探しに」と返事したのに、心配してかサンボーが川へやってきた。なんだよー、大丈夫だよー。

さて、水も飲ませ終わって、お家に帰ろうとするが、今日は暑くて羊達がトロイ。しかも寝始めた。家のすぐ傍にヨンドンピルさんの羊がいたので、少し離れた所に羊を残して、私は家へ帰った。暑くて食欲もわかず、適当にお茶とパンを食べて昼食。家の片付けをしながら、ちょくちょく羊を見る。ヨンドンピルさんの羊のほうへ、うちの羊が進んでいる!これは、ヤバイと、我が家を間に反対のほうへ誘導。

そしてなんだかんだしている内に夕方7時になってしまった。羊達は裏の高ーい岩山に登ってしまった。ヤバイなあ、あそこ馬で行けるかな?サンボーもう帰ってくるかな?なんて油断したのがいけなかった。8時になってもサンボーが帰って来ないので、行かねば!と思い、馬に乗ったが、岩山は結構スリル。降りて、馬を引いていこうかと思ったが、乗り降りの面倒な馬なので、なんとか乗ったまま上まで行くが、羊はともかく山羊が下りようとしない。元々、岩山に住む動物なんだから、居心地がいいのだろう。こっちは暗くなる前に帰らなくては、と焦りまくり。やっと下りた時には9時を回っていた。

それからも、羊達が思う様に動かない!どんどん暗くなっていく!でも、進まない。なんで~。

でもって、気がつくと真っ暗に。月はなく、星は満天だけれど、星の明かりは地面には届かない。真っ暗闇。家はあっちの方向だと思うけれど~、と進むのだが、羊は眠りかけてる。オイコラ。あまりの進まなさに、今夜は暖かいし、野宿かなぁとも思い始めた。

とその時、向こうにバイクの光が。絶対にサンボーだ!と思い、羊を残し、ダッシュ。出会った瞬間「何してる!」と怒られ、「だって~」の言い訳もしようがない。早く羊達の回収に行けば良かっただけの私のミス。というか、普通は30分くらいのところなのに、何で進んでくれないのよ~。その時、時間は10時半。何時間掛けて、遊牧してんだ、私。反省、と思った矢先にサンボーが酒臭いことに気がついた。「アンタも何してたのよー!」と馬から乗り換えたバイクの後ろで、サンボーの頭をボコスカ叩く。サンボーは「で、羊はどこにいるんだ!」と大声でわめきまくり。暗闇だったにも関わらず、「あっち」と言ったら、本当に居た。私ってスゴイ!じゃなくて、全然ダメ。

ああ、何やっても上手くいかないなあ。

翌日、村で自らその事を暴露すると、「あら、昨日サンボーは、ヒサコは今日一人で、羊の遊牧してるんだ。もう完璧だぜ!って言ってたわよ」と笑われた。

面目ない。サンちゃん、ごめんよ。

ぼるふ〜草原記

愚痴

遊牧民の一番の稼ぎ時から、すでに1ヶ月が過ぎました。
そう、カシミヤの毛梳きの時期でした。
結構な金額を手にする時です。
お目目にtg(トゥグルグ)マークが飛ぶ時期です。
3月末のナランの春休み1週間、カシミヤの毛梳きをするバイトを雇っているサンボーの元へまかない作りに行ってきました。
今年は、なんとエメールトというウランバートルから近くの所から、バイクに乗って毛梳きバイトにやってきた4人組がいて、他にもウランバートルから2人助っ人が来ており、計6人のお手伝いとともに黙々と行われた毛梳きの作業。
まあ、小さなトラブルは毎度あるものの、とりあえず終わってほっとするのもつかの間。
今年の相場は、悪いかったですねー。
去年は90000tg/kgの値をつけたカシミヤですが、今年は思うような価格がつかなくて、どこのお家も今売るか、もう少し待つか。その話で持ちきりでした。まあ、気持はよくわかります。。。
結局55000tg/kgで、我が家は売りました。私がウンドゥルシレットに着いた日は、66000tgだったのですが、10日間で暴落しました。
おかげで、冷凍庫を買ってもらえるか、心配です。今年は、カシミヤのお金で、ソーラーパネルで稼動する冷凍庫を買ってもらうことになっていたのです。珍しくサンちゃんが、買う?なんて聞くもんだから、イエースと言わなくて、どうする!でしょう。

でも1ヶ月経った今も、そのお金を握っているサンボーさんは、都会になかなか現れません。
先日、朝5時にデンジンミャンガ・ザハにお肉を売りに来て着いた、と電話があり、あら?ウランバートルに来たの!と思い、食べたがっていたカレーを作っていたら、7時にまた電話があって、このままでバスで帰る。。。とのこと。
おいおい、妻と子に会わんで、帰るのかい?
そして、そのままホントに帰っちゃいました。
その後も、ウランバートルに来る、と言っては雪が降ったりして、来ませんねえ。

冷凍庫、買うのは秋かなあ?(もう使わない時期ってことー?!)
と言うか、妻と子に肉、くれ!

p.s 1週間後、肉だけがウランバートルに届きました。
   まだ手元には届いていないけど(笑)

草原でのツァガーンサル(旧正月)

今年のツァガーンサルは2/19でした。私は大晦日の前日にバスに乗って草原へ。ナランは授業をサボって、一足先に草原に帰ってました。実は、サンボーと結婚して初めての草原でのお正月なのです。今までは、冬はナランと私はウランバートルにいたので、サンボーがウランバートルに来てくれて、いつもウランバートルで過ごしていましたね。でもその内、サンボーは都会の正月はつまらんと草原で過ごすようになり、私は仕事がいつも大晦日まであって、草原に行けずで、別々に祝ってました。これではイカンと今年は1年前から休みを申請し、念願の草原へ。

バスで村に着いたら、知り合いに会う度に「ぼるふ~、今日は夜中まで座る暇ないぞ」と言われまくり、ドキドキしてゲルに入ると、確かにスゴイ。ひっちゃかめっちゃか。ということで、家の中にある物はぜーんぶ外に出し、大掃除を始めたのですが。。。お兄さんのバイラーは先日買ったテレビの配線がうまくいかないのが、気になってしょうがない。ザガを呼んできて配線し直し、テレビは映ったものの、今度はバイラーとナランがテレビから離れない。コラーッと怒鳴って、外のゴミ拾いへ。その内、夕方になり、大晦日名物のモンゴル相撲の中継が始まった。今度はサンボーまでもが座り込み。今日中に準備、終わるの??

相撲を見ながら、オーツ(羊の背肉?)を蒸していたのだが、鍋の中に落としてしまい、まっすぐでなくてはならない世肉が曲がってしまい、板と重石を乗せて真っ直ぐに。。。シッポの毛を毟って取るのも失敗して、それは無残なシッポに。。。それは、まるでコメディー映画のようです。悪戦苦闘していると、ザガとバタが、大晦日を祝いにやってきた。「えっ、まだ準備終わってないの?」と目を丸くする二人に「はいはい、手伝って」と手伝わせ、やっとボーズを蒸して、一息つくと、なんと時間は夜中の1時。すみません、年明けてますけど。。。

ただいま授乳中
ナランママ、ただいま子ヤギ、子ヒツジの授乳中。

新年一日目はさすがに日の出前に起きて、サンボーは挨拶周りに乗る馬を捕まえに、バイラーとナランは山に捧げ物を供えに行きました。新年の挨拶を家族でして、ボーズを食べて、さあ新年の挨拶周りに!というわけにはいきませんでした。今年は早く小家畜の出産が始まり、すでに50匹の子ヤギと10匹の子ヒツジ。となると、子ヤギの乳飲みのお手伝いの仕事があります。おまけに放牧に出す前に、体力的に放牧についていけない子供達を置いていくための、分ける作業があります。柵が壊れた我が家では、ひたすら走って捕まえるのみ。生まれたばかりならともかく、少し大きくなった子供達はすばしっこい。皆は両手に抱えているのに、私はヘッドスライディングしてかろうじて一匹捕まえるという感じ。スクワットの重要性を感じます。

全ての作業を終え、バイラーに放牧をお願いして、新年の挨拶周りに出発しました。久々に3人で馬でお出かけです。ジャンバルさんとミジさんのお家に行って、ボーズを食べて、おしゃべりして。昔ほどは、アルヒ(ウォッカ)を無理やり飲ませることのなく、快適に楽しんでいたのですが、新年3日目の競馬の練習をしたい、とサンボーが言い出し、本日の挨拶周りは終了。

ゲルに帰って、競争馬を連れて、平らな道が続くところまで移動です。サンボーが調教しているのは、種馬と5歳馬。ナランは、この5歳馬に乗るのは初めてということで、怖がっているから、私に一緒に走れ、とサンボーが言うではありませんか。いいのー?と喜んだものの、練習とはいえ、5、6km。ゴール地点から出発地点まで、早足で行くのですが、それがキツイ。この走りは足にもお尻にきます。正直こんな走りで、ナーダムだと20km位行くのですから、エライです。結局ナランに励まされながら、スタート地点に到着。ここから、スタートです。駆け足は早足と違って、サイコーです。気分爽快。ナランには置いていかれ悔しいけれど、気分はいいので、思わず歌を口ずさんでしまいました。なぜか出た曲は「ござーる ござるよハットリ君は~~」。忍者ハットリ君の歌でした。誰も見ていないようで、どこからか見ているのが草原。翌日、ナランと一緒に走ってたのは誰?と聞かれ、あたし、あたし~!と手を挙げたところ、大爆笑。サンボーは奥さんをこき使うな~って。

ちなみに、本番のレースでは種馬はビリ。5歳馬では50頭くらい出場したのですが、真ん中位でした。今回は調教できていないサンボーに非難集中でした。。。

そんなこんなで過ごした5日間でしたが、何せ子家畜の世話が忙しくて、お正月をあまり実感できなかったですね。それでも、久々に草原の皆に会えたのは、嬉しかったです。もっと会いたい人はいたのに、会えなかったのは残念。

気分一新できたお正月でした。

挨拶周りにやってきた
みんな、挨拶に来てくれました~

 

1ヶ月前に産まれた子犬。右がペコ。真ん中がハチ。左の子は、名前考え中。
1ヶ月前に産まれた子犬。右がペコ。真ん中がハチ。左の子は、名前考え中。
今年流行のジャフラン帽
流行の歌手ジャフランを真似した帽子。でも、草原で被っていたのはナランだけ

 

ぼるふ〜草原記

見つけた狼の脂

モンゴル人は、ホントに良い人が沢山です。

私が肺炎で大変だと聞いて、以前一緒に働いたことがる人が狼の脂をgetしてくれました!

せっかく見つけてくれたコレを使わなくては、女が廃る?と早速、治療開始。ただ、狼の脂を背中に塗って、お日様に当たるには9月の草原は寒過ぎ。

ということで、夜寝る前に塗って、ストーブの火で温めることにしました。今年の9月は一瞬寒かったけれど、比較的暖かかったのですが、治療のため、ストーブをつけることに。背中をストーブに当てるだけでは、あまり温まらないと、サンボーがナランの着なくなったTシャツをストーブに当てて、その温まったTシャツを背中に当ててくれました。サンちゃん、良い人と惚れ直す瞬間でした。

でも、やっぱりサンちゃんでした。

治療が始まって5日後のことでした。寝る前に温めたTシャツをいつものように当ててくれたサンボー。

そこで悲劇は起きたのでした。

 

背中に走るビリビリ感!そうです、Tシャツが温まり過ぎて、激熱だったのです!ウギャ〜の叫びと共にTシャツを投げる私の形相にバカ受けのサンボー。こっちは、背中のヒリヒリ感に耐えられず、涙涙。

仕返ししたるーの私に、遠慮しますのサンボー。30分ほどの言い合いの末、諦めた私。

結局、狼の脂のおかげか、肺炎は治りました!

そして、サンちゃんの愛は火傷として残りました。

 

追伸:せっかく肺炎治ったのに、今度は気管支炎になってしまいました。。。

ぼるふ〜草原記

モンゴル究極の治療

モンゴルにはまって、早15年。その間、なにかある度に耳にした治療方法。まさか、自分の身にかかってくるとは思わず、大爆笑していた浅はかな私でした。

6月になると同時に、私はバスに乗って草原に向かいました。バスに乗ると同時に、悪寒が始まり、ゲルに着いたと同時にバタンキュー。どんなに皆にからかわれても、立ち上がることができず。何で草原に来て、風邪を引くかなーと呆れられても、反論するパワーも無く。

3日後、熱は下がったものの、喉が痛い。するとサンボーも喉の痛みを訴え始めた。近所では、サンボーの家に行くと風邪をうつされるから、行かない方がいいよー、なんて噂もたつほど。

孤独な1匹狼の遊牧民ボヤが、めっちゃ呆れ顔でやってきた。ボヤは独身で、髪はボサボサ、無精髭をはやしている。無口なのかおしゃべりなのか、よく分からない人物である。そんなボヤが、揚げパンのボルツクを3杯分も食べ、ウチの食料食い潰す気か〜と、私が切れそうになった瞬間、一言呟いた。

「ナランの小便を飲め」

出たー。モンゴル究極の治療法!モンゴル人ならば、子供の時には、1度はお母さんのおしっこを飲んだことがある、と言われている万能薬。大人には、子供の寝起きのおしっこが良いらしい。

「俺は、風邪を引きそうな時には、自分の小便を飲む。そうすれば、すぐに治る。ボルフーもとっとと飲めば良かったんだよ。」

さすが、孤独な1匹狼。クールだ。

で、どうするの?とサンボーを見る。

「昨日、ウランバートルのお姉さんもナランのおしっこで、うがいをしろ、って言っていた。明日、やるか。」

即決定。

翌朝、ナランに茶碗におしっこさせた。

飲まなくていいので、うがいをしろ、と。

イッセーノーセーでサンボーと同時におしっこを口に入れる。

ボルフーは失格。うがいできなかった。

サンボーは、やっぱスゴイ。うがいをしてる。

味は、最高に苦い緑茶。きっと、おしっこと知らなければ、出来ると思う。でも、ダメ。先入観が。。。やっぱり、モンゴル人にはなれない!

その後、サンボーは翌朝もうがいを行い、完治。うがいの出来なかった私は、数日間喉の痛みに苦しむことに。

ちなみに、体調をくずして、肺炎になった私は、お尻への注射で良くなったが、肺には狼の脂が良いらしい。背中に脂を塗って、お日様に当てると良いらしい。それなら出来る!今、狼の脂を探し中。

 

ぼるふ〜草原記

ソーリーソーリー

春は家畜の出産ラッシュである。
ある日、ナランと放牧に出た。まあ、生まれるわ、生まれるわ。山羊の赤ちゃんが5匹に、羊の赤ちゃんが1匹。生まれた赤ちゃは、大きな肩掛けカバンに入れて、連れて帰る。

連れて帰って、赤ちゃん用の柵に入れて、放牧を続けた。
夕方、馬を探しに行っていたサンボーが戻った。ナランと2人、興奮して、沢山の赤ちゃんが生まれたことを報告。一緒に外に出て、柵の中の沢山の赤ちゃんを見せる。
「お母さんはどれ?」

へっ?お母さんは、自分で子供を認識しているんじゃないの?と思ったのに、お腹が空いてメェーメェー泣く赤ちゃんの元に、赤ちゃんを探すお母さんもメェーメェー泣いているのに、行かない。というか、行ってお尻の匂いを嗅いでは、この子はウチの子じゃないとでも言わんばかりに去っていく。結局、自分の赤ちゃんを見つけたのは、一匹だけ生まれた羊だけ。山羊は全滅。

そうなると、どうするか。強制親子縁組。
サンボーが適当に親子のペアを組ませる。お腹が空いて、おっぱいに飛びつく子山羊に痛がる義母山羊が頭突きをする。なので、人が介添えをする。義母山羊をしっかり抱きとめ、暴れないようにして、子山羊に乳を飲ませる。横から、お腹が空いた子山羊が横取りをしようとするのを首ねっこを捕まえ、お前の母ちゃんは向こうだー、と追いやるのだが、その母ちゃんは頭突きをしてくるので、これ幸い暴れないように抑えられている山羊に向かってくる。それも1匹や2匹じゃない。左脇下に義母山羊の頭を抱え込み、右手で子山羊の乳飲みの手助け。右足で近寄ろうとする子山羊を追いやる。とても大変な作業だ。これを後、何匹するのだろう。

サンボーが分かりやすいように、色のついた布を親子ペアで同じ色、同じ場所に結んでくれる。これで、自分ができなくても、できるだろう!と。

これがそう簡単ではないのだ。子山羊はすばしっこい。でも、これはナランが頑張っつかまえてくれる。お母さん山羊もつかまえるのが一苦労。やっとつかまえた山羊を暴れないように抑えるのも力がいる。ちょっと気を抜いた瞬間、角で鼻に頭突きをされた。鼻に大きなスリ傷。目じゃなくて、良かったー。サンボーが飽きれる。お前のせいだぞー!と言いながら、手伝ってくれる。

ソーリーソーリー。
それは、来年の春にも聞かれるだろう。。。。

ぼるふ〜草原記

まじですかー

遊牧なんて、頭でわかっていたけれど、実際にやってみると、あまりにも羊や山羊が言うことを聞かなくて、落ち込んで思わず地面に膝をついてしまうこと、何回。

どうにか、1人で遊牧できるようになった頃、サンボーがナランを連れて隣村のブルンに行くことに。今日は一日、完全に1人で放牧だあ。

とりあえず、ゲルの近くに放牧。ちょくちょく、ゲルから顔を出して、近くにいるのを確認していたのだが、ボルツク(揚げパン)を揚げている間に、見えなくなってしまった。ヤバイよー。でも、まだ全部揚げ終わらないので、とりあえず、揚げ物に集中。そこへ、スフおじさんが馬に乗ってやってきた。家に入ってきたスフおじさんに一言「うちの羊達、見なかった?」。近所の人達は、私の飽きれるような質問にももう慣れていて、「そう聞かれると思ったから、さっきこっちに近づけておいたぞ。」いつもいつも、すみませんねえ。

油断して話し込んでいる内に、羊達が川のほうへ、崖を下ってしまった。今度は自分で羊を追った。みんな喉が渇いて川に水を飲みに行ったようである。羊達が水を飲んでいる間、川で遊んでいた。はっとみたら、なんと羊が一匹ぬかるみにはまっているではないか。慌てて駆け寄ったら、自分もはまった。それでも必死に羊を引っぱり上げるのだが、大きくなった羊は普通でも持ち上げられないほどの重さである。とにかく、火事場の馬鹿力で必死に引っ張り上げ、無事ぬかるみから引き上げたのだが。。。今度は自分が出られなくなった。助けた羊は恩も知らず、他の羊達とともに、喉も潤ったのか、どんどん遠ざかって行く。さみしすぎる。。。

とりあえず深呼吸。羊達はいなくなっても知らん。サンボーが一日中いないのがいけないんだ。他のお家の羊と混ざっちゃうなら、混ざっちゃえ。分けるのも、サンボーの仕事だ!悪態ついたら、すっきりした。とりあえず、一歩ずつ足を出すことに集中。脱出できた頃には、太ももまでどろまみれ。サンダルは救えなかった。腰までズボンのまま入って、ジャブジャブ洗って、さあ放牧の再開。

と思ったら、またまたスフおじさんと遭遇。ずぶぬれの私を見て、何事か?と聞かれたので、話すと、飽きれてお茶でも飲んで行け、言われ、遊びに行った。チムゲーおばさんにその話をしたら、「そんなことをしたら、自分が抜けなくなって危ないから、まずは人を呼びなさい!」と怒られた。何かあったら、すぐに来なさいと言ってくれ、安心してゲルへ帰る。

羊はゲルのそばまで、スフおじさんが連れてきてくれていた。
安心して、家で少しゴロゴロしていたら、また羊達が遠くに行ってしまった。慌ててゲルを飛び出し、後を追う。追いついて、方向転換させ、歩いていると、何か空が暗くなってきた。何気なく横のマイハンボローの丘を見ると丘の向こうが赤い。えっと思った瞬間、私は砂嵐の中にいた。痛いし、何も見えない。足元の羊達が風に押されて、すごい勢いで進む。私も一緒に進む。どこに向かっているのかなんて、知らん。歩き続けると、川へ下る崖に来ていた。崖を下ると少し風が和らいだ気がした。崖下で羊達がピタッと止まった。どうやら、ここが嵐避けにいいらしい。そのまま立ち止まって、嵐が去るのを待つ。

きっと10分くらいのことだったのだろう。でも、私には何時間にも感じた。突然、青空が広がった。口の中がジャリジャリしていることに気がついた。馬の姿が見えた。スフおじさんの息子のトンガーだ。天気が怪しくなってきたので、みんなゲルに避難していく中、呑気にゲルを出て行く私を見たらしい。その後、嵐が来たので、心配して見に来てくれたらしい。

またスフおじさんのゲルに行って、一休みする。チムゲーおばさんは、「ボルフーは今日一日ちゃんと働いたんだから、もう羊は放っておきなさい。一日中出かけるサンボーが悪いのよ」となぐさめてくれる。

散々。使えない。お馬鹿。嫌な言葉だけが頭を回る。
でも、仕方ないよー。今まで、こんなコトしたことないんだから。反省も短いぼるふ~なのである。

夜中、ほろ酔いのサンボーが戻る。今日一日の出来事を興奮して話すのに、「天候でも何でも、危なさそうだったら、放っておけばいいんだよ」の一言でお終い。
ブチンと切れた私はサンボーの親戚に、もう大変だったのー!と話しまくり、サンボーは怒られまくり。たった一日のことをおおげさなんだよー!と怒りまくるサンボーに、ザマーミロ。

ぼるふ〜草原記

かまれた

2003年8月22日。その日は快晴だった。お客さんもいなかったので、近所のミジさんのお家にお泊りに行っていた。今日はお父さんの誕生日なので、村から国際電話をするつもりだった。

ミジさんの家は、今年から凶暴な番犬を飼った。コイツが良く吠えて、良く噛む。この前、アルタンばあさんが噛まれたと聞いた。私も昨日、この家の娘のオトゴと夜のトイレに出たら、お尻を噛まれそうになった。未遂に終わり、すり傷で済んだ。だから、今日は絶対にオドコから離れない!

朝、顔を洗いにオドコと外に出た。石鹸を忘れたオドコが一瞬ゲルに中に入った。私は、扉のすぐ外で一瞬置いていかれた状態に。その瞬間!右膝裏に激痛が、思わず飛び跳ねてゲルに入る。お母さんに「噛まれた?」と聞かれたが、心臓がバクバクしていて、「わからない」と答えるのが精一杯であった。

椅子に座って、心を落ちつかせていると、右足がジト~として
きた。なんだろうと思って、ズボンをめくると何筋もの血が垂れてきているではないか。慌てて、膝までまくりあげると、右膝の裏にきれいに4つの穴が開いているではないか。

それを見たお母さんが「なんだ、噛まれているんじゃないの!」と怒りながら、ヨードチンキと絆創膏を持ってきてくれた。ヨードチンキで消毒をした後、どこから持ってきたのか、お母さんの手には何かの毛が。しかも、それを傷口に貼ろうとしているではないか!「ちょっと待って、それは何?」と聞いたところ、私を噛んだ犬の毛だという。そして、それを傷口に張れば、治ると。それは、絶対に無い!でも、お母さんは有無も言わせず、貼り付けた。しかも、足が痛いのに、私を噛んだ犬に餌をやれという。何でよ~。餌をあげることにより、もう敵とは思わないからだって。マジですか?足をひきずり、支えられながら、餌をやった。気分は完全敗北。

やっぱり狂犬病が怖いので、村に行って注射をしてもらうことに。馬に乗り、13km離れた村へ行く。

お医者さんに「どうしたの?」と聞かれ、「犬に噛まれた」というと、最初の一言が「犬の毛貼った?」。「??貼った。」「じゃあ、大丈夫」そんな訳ないでしょう!!

お願いして、注射を打ってもらうことに。へそにすると聞いていたので、お腹を出したら、背中を出せという。肩甲骨に針がブスッと刺され、オドコのお姉さんのオユカと私は「あっ」。同時に「これって、タルバガンのペストの注射じゃない?」注射担当のお医者さん「そうよ」違うでしょう。犬に噛まれたって言ったでしょう。「じゃあ、もう一本打つ?」

ワクチンって1日に2種類打っていいの?そのまま帰る。
幸い、傷はすっかり良くなった。

余談。10月初旬、帰国したときのこと。モンゴルで犬に噛まれたことを成田空港の検疫の受付で告げると、それは大変だと医者を呼んでくれた。医者に告げると第一声が「えっ、死んじゃうよ!」。思わず「?」。その後は「狂犬病なんて診たこと無いよ。」と医学書を読み上げ始める始末。時間の無駄。そう思って、ワクチンを持つ病院のリストをもらい出ると、さっきの受付のお兄さんが「ワクチン打ってもらいましたか?」と。ワクチン、ここにあるの?結局、駒場病院に通った。日本の医学に未来はあるのか?
何でかというと。。。

 

サンボーと結婚するとき、99%の人がびっくりした。そして、「それで良いの?」と聞いた。何でサンボーと結婚を決めたのか。

モンゴルに来たのは、のんびりしたかったから。しかし働きに来たら、そういう訳にもいかない。ましてやモンゴル。初めてツーリストキャンプで働いた時は、本当にびっくりした。「時間」に対して、とってもルーズなのである。「5時にお客さんがシャワーに入るからね」と言ったのに、5時にシャワーを温め始める。シャワーの水を温めるのに1時間は掛かると知っているのに。何につけても、こんな感じ。ひどいと「時計が無いから、分からない」と言う。ならば、時計になってあげましょう!とキャンプ内を、時間を告げながら、走り回った。その内、さすがに皆が時間を気にし始めてくれた。

でもモンゴルで何夏か過ごすと、「時間」に対する日本人とモンゴル人の感覚の違いがわかってくる。乗馬の開始の時間が9時だと、遊牧民はその1時間以上前には馬を探しに出かける。想像通りの場所に馬がいれば良いのだが、外れると大変である。放牧だから、柵がある訳ではない。どこまでも行けてしまうのである。予定通りにはいかないのである。

ある日のこと。義弟のジャウガーが乗馬用の馬を探しに出掛けた。必要な数の馬は連れてきたが、群れにいるべき1頭の馬が河の向こうに渡ってしまっているのを見つけた。でも、その馬を群れに戻すと、お客さんの乗馬の時間に遅れてしまう。彼は、「時間」を守ることを優先した。戻ってきてサンボーにそのことを告げると、サンボーが激怒した。なぜ、その馬を群れに戻さなかったのか、と。結局、その馬は行方不明になり、見つかるまでに半月かった。

ほんの30分位の遅刻を守る為に、半月を失う。この場合は、馬が見つかったから良かったのだが、失ってしまう可能性も高いのである。

でも数日しか滞在しない旅行者に、そこまでは伝わらない。旅行者も貴重な時間を割いて旅に来たのであるから、満喫したいのである。だから、言葉で説明してもピンとはしない。

この板挟みが意外とツライのである。馬を待っている時間、お客さんを退屈させないように、モンゴルについて勉強してしたことをお話したりして、フォローをする。一緒にフォローしてほしいガイドのモンゴル人も、都会っ子だとその点が良く分からない。お客さんと一緒に責めて来られると、正直ツライものがある。もちろん、謝らなければならない事なのであるが。

このような感じで、日本人の旅行者の希望の添えられるように、でもモンゴル人のことも考えてあげられるように、仕事の流れを考えなければならない。そうすると、あれもこれも考えなくては、とパニックになるのである。

そんな時、サンボーはやってきて「忙しそうだね~」と呑気に声を掛ける。イライラしている私は「そうなの。これもあれもやらなきゃいけないの!」と叫ぶと「働き者だね~」と言うサンボー。そののんびりしている様子に、思わずガクッとくる。そして、イライラしている自分がすごく恥ずかしくなる。そして深呼吸すると、悩んでいたことの答えがパッと整理できたり。

こんな風に、サンボーは私の凝った肩をほぐしてくれるのである。
それだけじゃ、結婚する理由にならないのでしょうか?

ぼるふ〜草原記

めんどうだ

モンゴルで生活するのは、意外と面倒である。何がか、って?習慣が、だ。

 

足を踏んだら、握手する。

必ず、右手で物の受け渡しをする。

ゲルに入る時に、ムチを持って入ってはいけない。物を背負って入ってはいけない。

頬杖をついてはいけない。

ヤカンの口をゲルの扉に向けてはいけない。

 

いけない事だらけである。毎日、怒られない日はない。

先日は、頬杖をついていたら、おじいちゃんにスッコーンと腕をはじかれ、アゴをテーブルに直撃した。

バガナに抱きついていたら、耳をねじられた。

こんなに怒られるのは、子供のとき以来だ。

モンゴルで生活するのは、面倒だ。

 

でも、それがなぜかクセになる。

テレビゲームより面白いゲームになる。

ぼるふ〜草原記

はれた

2001年 9月、朝起きると目が腫れていた。鏡を見ると化膿している。ものもらいだ。

キャンプ場のスタッフに見せると、白いものを見てはいけないというので、サングラスをすることに。鼻が低いので、何かする度に落ちてきて、仕事にならない。一向に治らない目を見て、皆が治療方法を教えてくれた。

  1. 新鮮な生肉を目に挟む
  2. 人間の母乳を目に塗る

二者択一。1は、かなり、びびる。絶対にばい菌が入るに決まって、悪化するだろう。2を選択。早速、遊牧民の子が馬に乗って探しに行ってくれたが、近所に母乳の出るお母さんはいなかった。

でも、絶対に1は嫌だからね。かなり引いて抵抗。
数日後、マネージャーのバウジ-が村で塗り薬をもらってきてくれた。
薬があるなら、早くくれよー!!!塗り始めて2日で目はすっかり良くなった。